バレンタイン文化の広がりについて

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みなさま、こんにちは。開運堂です。今回は「バレンタイン文化」についてお話いたします。開運堂は、店舗名より「老舗の和菓子屋さん」というイメージを持たれる方が多いですが。実は、洋菓子も取り揃えております。

バレンタインデーの起源

実は「バレンタイン」というのは、キリスト教の聖職者の名前です。バレンタイン司祭は3世紀のローマの人です。一説によると、当時の皇帝クラウディウス2世は、強兵策の一つとして兵士たちの結婚を禁止しておりました。これに反対したバレンタイン司祭は、皇帝の命に反し多くの兵士たちを結婚させました。このため皇帝の怒りをかい、ついに殺されたということです。この殉教の日が西暦270年の2月14日で、バレンタイン司祭は聖バレンタイとして敬われるようになり、この日をローマカトリック教会では祭日とされているそうです。

聖バレンタインデーは司祭の死を悼む宗教的行事でした。これが 14世紀頃からは若い人たちが愛の告白をしたり、また、一説には2月が春の訪れとともに小鳥もさえずりをはじめる、愛の告白にふさわしい季節であることから、この日がプロポーズの贈り物をする日になったともいわれています。

日本独自なバレンタイン文化

バレンタインデーに女性から男性は愛の贈り物としてチョコレートを贈る習慣は日本特有です。また、今日のように定着したのは昭和30年代に入ってからでして、「女性が好きな男性に気持ちを伝える」ということが定着したのは、1970年代と言われております。

色々と諸説があります。

  • 昭和11年に洋菓子店モロゾフ株式会社が「バレンターンデーにチョコレートを贈る」ということを提唱して、チョコレートの販売を促したこと。
  • 昭和33年にメリーチョコレートカンパニーが伊勢丹本店にて「バレンタインデーセール」を行なって広まった説。
  • 昭和35年に森永製菓がバレンタインデーの新聞広告を出して広めた説。
  • 昭和43年にソニープラザがチョコレートを贈ることを流行らせようとした説。

企業が営業目的として、普及させているうちに日本ではバレンタインデーが定着いたしました。
日本では少し意味合いが異なって広まった文化となっております。
(参照:日本チョコレート・ココア協会)

開運堂のピジュトリー

今回ご紹介するのは、「ピジュトリー」。長年人気の開運堂オリジナルチョコレート。です。「ピジュトリー」は英語の「Bijutori(宝石)」より商品名を付けております。香ばしく煎ったマカダミアナッツと、自社ブレンドをした芳醇なチョコレートは絶妙な組み合わせ。開運堂のパティシエが一粒一粒手作りで仕上げております。また、マカダミアンナッツにフランス産のゲラント塩をまぶし、チョコレートコーティングもを通常よりもビターに仕上げました大人の味わいが楽しめる商品もございます。

内容量とパッケージ体裁は50g入りのコロンとした可愛らしいテトラ型と、150gの箱入りの他に2018年の秋よりリ「壺陶器」から「美濃焼の磁器」へニューアル。3種類の大きさがございます。その他、信州木曽地域の伝統工芸品、漆器弁当箱の器に入っているおしゃれな体裁もご用意。

さまざまな大きさ、パッケージを取り揃えておりますので、「自分用」「バレンタインとして」「手土産」など、様々な多用途、お遣い物にお勧めいたします。