砂糖の文化

みなさま、こんにちは。開運堂です。
この度より、この場にて松本菓子や、お菓子文化と日本行事についてのお話をさせていただきます。廃れゆく習わしや、お菓子の由緒について、改めて日本文化の良さについて再発見していただけうような、そのような場になれば、と、思っております。
また、お茶飲み話としてもご利用いただけますと、嬉しく思います。

砂糖文化、お菓子の歴史について

さて、今回が初回でございますが、「砂糖」と「お菓子は」切っても切れない関係。砂糖は、南太平洋の島々から東南アジア、インドを経て世界中に広まりました。日本のお菓子の起源は小野妹子が遣隋使として送られ、中国大陸から菓子が伝わったのがはじまり。その後に唐僧の鑑真が蜂蜜、石蜜、蔗糖、甘蔗を日本へもたらしました。また、唐より唐菓子の一種「団喜(だんき)」が入ってきたのが、日本最古のお菓子として残っております。

砂糖が日本へ伝わったのは、今からおよそ1200年前の奈良時代の事です。遣唐使として最澄が唐より砂糖を日本へ持ち帰ったのが始まりであると言われています。その当時砂糖は、調味料としてではなく薬として用いられ、奈良の大仏に供えられる程貴重なものでした。砂糖が食品として扱われるようになったのは、鎌倉時代末期から室町時代、大陸との貿易が盛んになり砂糖が輸入されるようになってからの事です。砂糖の加工品であるこんぺい糖やカステラなどの南蛮渡来菓子も同時に輸入され、高級嗜好品として大名や将軍はたいそう気に入っていたようです。また、国内では茶の湯の流行に伴って和菓子が発達し、砂糖が重宝されました。砂糖が広く使われるようになったのは江戸時代以降のことです。
江戸時代に入って、和菓子は大きく発展
江戸時代以前は、国内で常に戦(いくさ)があり、とても菓子を楽しむということのできない時代でしたが、江戸時代になって戦乱が止み、平和になったことから、菓子づくりに力を注ぐことができるようになり、飛躍的に発展していきます。日本中の城下町や門前町で独特の和菓子が生まれたのもこの時代ですし、京都の京菓子と江戸の上菓子が競い合うようにして、菓銘や意匠に工夫を凝らした和菓子が次々に誕生しました。現在食べられている和菓子の多くは、江戸時代に誕生したものです。

参照:全国和菓子協会(http://www.wagashi.or.jp/

開運堂の真味糖

今回ご紹介するのは、「真味糖」という砂糖菓子。大正中期に考案された鬼胡桃と蜂蜜などを用いた和風ヌガーです。断面の鬼胡桃が歌舞伎の隈取化粧に似ていると、
「歌舞伎くるみ」の菓名で発売。一時は銀座歌舞伎座でも販売しておりました。
昭和初期に松本で開かれた茶会で茶席菓子に最適と、裏千家淡々斎宗匠より「真味糖」と命名していただきました。以来、信州を代表する格式ある銘菓として広く知られています。使用する原材料が少ないので、味の決め手は和菓子職人の技と素材の良さ。お茶を嗜む方へのお手土産は、もちろんですが、松本の観光土産といたしましてもおすすめです。

https://www.kaiundo.co.jp/products/detail/2465