信州で育まれた茶席菓子の名品『真味糖』

開運堂の『真味糖』

『真味糖(しんみとう)』は、松本きっての名店開運堂の代表銘菓のひとつ。
大正末期に創作され早九十余年、いまだ存在感あるお土産の定番。

店員もまずお客様にオススメするほど全国にファンをもつ和菓子。

松本観光で一度は訪れたことのある開運堂のその名品の歴史を紐解く。

ネーミングの妙!『歌舞伎ぐるみ』から『真味糖』へ

(*当時)信州の山谷に育つ野生の鬼グルミ(和胡桃)と、
砂糖、蜂蜜等を原材料にしたこの唯一無二の干菓子『真味糖』

誕生したのは大正の終わり頃。現在の社長の祖父にあたる代に生まれた。

実は売り出し時は違う商品名!?

当初は『歌舞伎ぐるみ』という菓名だった!

『真味糖』を切り分けた時に白い生地に現れる胡桃の形が、歌舞伎役者の隈取り化粧に似ていることに着眼して名付けられたものだった。
販売当初にふとした縁から、それこそ東京は銀座の歌舞伎座で販売していたこともあったと言う。

それが昭和10年、茶道裏千家が松本で大きな茶会を開催するにあたり、開運堂が茶席菓子に出したのがこの『歌舞伎ぐるみ』だった。
そのあまりの美味しさに茶席において大評判を得たが「名前がそぐわない」と、
裏千家淡々斎宗匠がふさわしい名前をと、かくして名付けられた菓名がまさに『真味糖(しんみとう)』だった。
茶の湯を極めた人の感性に触れ、洗礼を受けて生まれた菓名である。

*画像は開運堂本店に会議室に飾られている命名の証。現在は折詰商品の一部にこのデザインが掛け紙として、印刷され使用されている。

『歌舞伎ぐるみ』もユニークな発想から付けられた菓名だと思うが、
『真味糖』という名前こそ、和菓子が“五感の芸術”と言うにふさわしい響きがあり、
心に深く染み入る雅がある。「ネーミングの妙」とはよく言われることだが、
菓名を改名したがゆえ、その価値をさらに高めたという事実。
「この菓子にその名前はそぐわない」と断じた裏千家宗匠淡々斎様もさすがの一言に尽きる。
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“アンノン族”が火を付けた!?

今でこそSNSで“バズる”や“映える”など流行の最先端が話題になるが、
昭和のこの時代(*昭和中期)は、近所の誰彼が観光に行ったその土地の土産がうけて、今度はついでに我が家もなんて、口コミで広がる程度の時代。

昭和40年代に突入し、当時若い女性たちを虜にしていた雑誌の双璧「アンアン」と「ノンノ」は、
“アンノン族”という流行語を生み出すほどブームを巻き起こしていた。
あるとき、そのいずれかに松本の銘菓として『真味糖』が紹介された。
「いきなり若い女性客が急増するは、注文は増えるはで、開運堂は軽いパニック状態でした。
100本入を10箱なんて注文がくるのですから、私も夜業をしたことがあります。そういうことが数年は続いたでしょうか・・・。」と、当時を振り返る社長。

1個の茶席菓子がそのお洒落感覚から、これほどまでに若い女性たちに指示されるとは・・・。
確かにその“アンノン族”が『真味糖』を一気に全国区にのし上げたというのも事実そうだろう。
いまやまことしやかに伝説となっている逸話だが、地方の和菓子(干菓子)がお洒落な和風ヌガーとギャルたちにもてはやされながらも、ブームという一過性の中で「甘すぎる」などという声もそのうちチラホラ沸き上がり、悪評判やブームで終わってはならず、
「本来は茶席の菓子で、茶人に評価されている名高いお菓子である。このまま野放しにしてはいけない」と販売を制限した経緯も。
ちなみに当時の販売価格は1個20円だったという。

内陸的な風土の中、乾燥した空気は人々に自ずと水分を要求させる。

松本城のお膝元でもあり、自然にお茶を飲み、お菓子を食べる習慣があった松本にとって、お茶の友として安価でさらに美味しいものは必須。
お菓子の質は都会に引けを取らなくとも、都会並みの値付けをすることはできない。
だが手作りであり、その手間暇から意識的に徐々に価格を上げ、幾段階を経て現在に至っている。
*『真味糖』2020年8月現在:1個120円(税別)
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苦心譚 ①  :  味、そして派生していく『真味糖 生』と『真味糖大島』

甘みは贅沢!?嗜好品としてお菓子が甘ければいい、という時代はとうの昔に過ぎ去った。
「甘くないのが美味しい」といわれる時代になって“上品な甘さ”というフレーズが心地よく感じられる。
「少しでも甘味を抑えるために色々と配合を変えて試作研究したのですが、駄目ですね。」
と振り返る社長。
社長の“駄目”とは、美味しくないということ。本来の配合を変えると『真味糖』本来の良さを失う。
『真味糖』でなくなってしまう。そこで登場したのが『真味糖 生』である。


『真味糖』は完成するまで製造工程に約3日間を要するが、3日目が「乾燥」である。
日持ちがするよう干菓子にする重要な工程。この作業で硬くも中途半端な柔らかさにもなる商品の良し悪しが決まると言っても過言ではない。

長年培ってきた職人の技とも呼べる経験や感覚で、季節やその日の気温湿度などに応じ、デリケートに変わる熟練の成せる部分。
『真味糖 生』はこの乾燥の工程を除き、一見すると手抜きと感じられるかもしれないがこの生状態で密封包装し保存することで『生』の素晴らしさを知る。

『真味糖 生』を一口食べた時の食感・歯応えは、まるで奥深い雪山の新雪に一歩足を踏み入れた時の、
きしりと足が沈み込む感覚と例えればよいのか・・・。
歯が白い生地の中に分け入るといった、あの感じが真骨頂。

個包装された干菓子の『真味糖』しか食べたことのない向きには、虚を突かれたような感動的な衝撃。
卵白が入っているからか、水分を多く含んだままの柔らかな状態はその甘みにも食感にも丸みを帯び、
口どけの優しさを一層感じられる。
まだお試しいただけていないのなら、是非一度試して欲しい。きっと虜状態になること間違いなし。

乾燥させない分、日持ちが短く、未開封の状態で10日間。
開封後はすぐに召し上がっていただくようになる。1箱5本1パックにてワンサイズのみご用意。
正式なお茶会にはこの『生』が使用されることが多い。

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前後するが『真味糖』にはもうひとつ、黒砂糖を用いた『真味糖大島』もある。
発売されたのは遡ること1980年代の終わり。あまりその存在を知る人は多くなく、けれども人知れずファンを増やしていった商品。

白砂糖と違い、黒糖のアクを抜かなければならないので手間がかかる。
手作業ゆえに生産は白の『真味糖』が10だとして、1.5~2倍ぐらいの割合で違う。
「“大島”の生はないの?」と要望されるお客様が結構いらっしゃるが、今のところ販売の予定は全くない。
『大島』には根強いファンがついている。
「いつかきっと……大島の生が」と心密かに待ち望んでいるかもしれない。

苦心譚 ② :  材料、胡桃の悲劇

戦後最大の被害をもたらした伊勢湾台風が襲来したのは、昭和34年9月16日。
現本店のある一帯も水浸しになったらしいがその当時、鬼胡桃の収穫地は伊那谷で、
台風の影響で壊滅状態になった。胡桃がないことには『真味糖』は作れない。
近隣の外国産のものはまだまだ劣悪で使用に堪えられるものではなかった。
この頃、金沢に「献上くるみ」という、鬼胡桃を水飴と和三盆で煮詰めた特産品があり、一時期は金沢の方で鬼胡桃を調達したこともあるとのこと。
この天災がなければ、胡桃を求めて国内をはじめ、国外を東奔西走することはなかったはず。
胡桃に限らず、高品質の材料を供給してくれるのは誰でもない。
その土地土地の風土であり、天候であり、まさに自然の恵みそのものであることを痛感させられる出来事だった。
そう当時を振り返る苦い思い出話。

苦心譚 ③:個包装、機械化開発悲喜劇

『真味糖』は製造工程はもとより、包装も手作業で行っていたが“アンノン族”がこぞって『真味糖』を買い求めていった時代に、せめて包装だけでもと機械化に踏み切った。
人づてに「東京の北千住の町工場に“発明家”がいる」ということを聞いたので、それを頼りにその方を探して依頼した。

『真味糖』の個包装はキャラメル包みと逆である。
菓名の印刷面を上にして、茶色の帯が縁がきちんと左端に揃わなければならない。
聞けば、この茶色の帯は、“歌舞伎の台本を綴じた縁を和紙で補強した部分”をモチーフに表現しているのだそう。とても興味深い。このお菓子の歴史や成り立ちを知る社員は今ではもうそう多くはない。
(*ちなみに2020年現在もこのデザインは踏襲され続けている。)

手で包むやり方と同じようにその機械は包むことができるのだが、当時は紙が和紙だったことなど質が災いしてか帯がずれたりと、その成功率は6割強だったとか。それでも人手よりは効率が良く、さすが一台数百万の代物!?(*当時の価値なので今に換算すれば驚愕プライス?)

その後、大手機械メーカーが名乗りを上げたが、できてきたのはキャラメル包装(折り込み部分が上面にきてしまう)タイプで、帯の部分も左端の縁に揃っていなかった。
なかなか手作業と同じように包むことが難しく、苦肉の策として帯を太くしたりと多少の妥協を経て、店頭に並んだという。
ところがすぐさま、お客様から「こんな品の悪い包み方では駄目」と、お叱りの言葉をいただいた。
縦5センチ・横2センチ・重さ20グラム足らずの、この1個のお菓子の出立・その佇まいまでもに思いを寄せ、愛してくれるお客様の手厳しい言葉。
その苦言を真摯に受け止めて、包み方ひとつ妥協することなく改良に改良を重ね、試行錯誤を繰り返すこと約10年の歳月を要したという逸話。
それほどまでに『真味糖』の個包装を機械でこなすことには、ネックとなるようなばかり難題ばかりが凝縮されていた。
機械メーカーの担当も「専属としてやっているわけではありませんのでねぇ・・。」と弱音をあげたという。
ただ、妥協せずに駄目出しが続くことで、機械も菓子もその経験や改良といったものに進歩が見え、
それこそ『真味糖』然り、包装機に然り、すべての提供する側に通じる真理。
こうしてお客様に愛され育てられてきたいくつもの逸話を感慨深く回顧する。

苦心譚 ④:手作りの妙、誕生秘話

前述苦難の末、包装こそ機械化したが『真味糖』自体は手作り。
原材料は砂糖、蜂蜜、寒天、鬼胡桃、水飴、卵白。生地を引き飴のように空気にさらして、卵白を加える。
「真味糖」の旨味・醍醐味は卵白を入れたことによる味の丸みと食感の良さにある。
その丸みが鬼胡桃の油分も包括し絶妙に響き合う。

いまや何事も日進月歩で追求され、便利な世の中だが、
当時は卵白だけを手に入れ難く、また卵自体が非常に貴重なものだったはず。
例えば、どらやきやカステラなどお菓子の主な原料には卵黄が必須で、残った卵白の活用法をあれこれ模索しながら試作しているうちに、『真味糖』に応用する解決策を閃く。隠れた「真味糖」の誕生秘話。
卵白が黒子になって味を引き立たせ『真味糖』を天下の銘菓たらしめた。
先人の職人達や二代目社長の創意工夫に拍手喝采、頭が下がる思いである。

話を製法手順に戻し、先述重要工程とした「乾燥」について、手順を簡単に追うと下記のようになる。

①よく混合した真味糖の生地を型に流す。

②ジャッキで押し固める。

③棒帯状に切る。
  乾燥する前なのでまだ生状態、切りながら離さなければならない。
 (*この作業の機械化も北千住の発明家に依頼したとの記録)

④切り離されたものをラックに並べ、乾燥室へ入れる。

糖度が高いので、あまり高温にすると表面だけが乾き、個包装した時に芯の水分が滲み出てきてしまう。
状態が『生』に近ければ、干菓子の日持ちが保てず、傷みも早くなってしまう。
かといって、乾燥しすぎてしまえば固く仕上がり、とても食べられるようなものではなくなってしまう。
失敗作は“レンガのような硬さ”と揶揄されたことも・・・・。

職人は苦悩する。
“35.6℃で一晩”という目安も、熟練者がその時節に合わせて微調整しなければならない。

社長はきっぱり言う。
「乾燥室には温度計も湿度計も設置しているが、配合を含め、数値化しても何にもならない。」
「95%は数値化できても、あとの5%は案配であり、勘でもある。その5%がなければもとより100%にならない」のだと。

手作りだから、生産量にも限界がある。『真味糖』はそれでいい。そうでなければならない。

『真味糖』は開運堂の数ある銘菓の中でもいぶし銀のように光る、
茶席菓子の名品として、後世にまで伝えて欲しいと切に願う。

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このお話は、
2007年6月雑誌「製菓製パン」掲載の特集記事の為、取材を行った内容を元に抜粋、再加筆したものです。
協力インタビュアーさん、ライターさんは残念ながら不明。体験談や回顧録は社長 渡邉公志郎 本人より
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