チョコレートの伝来について

みなさん、こんにちは。開運堂です。チョコレートについてお話をする機会をもうけております。
老若男女、口にする機会は多いお菓子でありますが、どのような背景があって今日を迎えているのかを存じていらっしゃる方は少ないと思います。今回はどうやって世界に広まり、日本にどように伝わったお菓子であるかをお話いたします。

海外におけるチョコレートの歴史

おそらく、多くの方がどこかで聞いた事があるかもしれませんが、チョコレートは現在のメキシコ南部にあたる、メソアメリカにて生まれました。農耕文化やマヤ文明、アステカ文明などの独自な高度文明が繁栄している時代よりチョコレートは存在しております。4〜9世紀よりカカオの栽培は行われており、カカオは貨幣として利用されたり、、儀式では神への捧げものとして重要な役割を果たしていました。上層階級の結婚式ではカカオ飲料が現代のシャンパンのような役割をしていたと推測されています。

16世紀初頭、アステカ王国はエルナン・コルテスの率いるスペインの軍隊によって征服され滅亡しました。コルテスは当時アステカ族が、 チョコレート(カカオ)と薬草を混ぜ合わせることで、不老長寿、疲労回復だけでなく、 歯痛、喉の炎症、赤痢、胃潰瘍、食欲不振、解熱、毒消しなど さまざまな病気の治療に目をつけ、スペイン国王カルロス一世に献上しました。アステカの遺蹟・文書などの多くは破棄されてしまいましたが、アステカ文明におけるカカオについては、記されております。その頃より、スペインよりヨーローッパ各地ヘチョコレート(カカオ)が伝わったと言われております。

16世紀~19世紀にスペインから欧州各地へ伝播する過程については諸説がありますが、日本とは異なり互いに国境を接しておりますので、多くの人の行き来があり、また聖職者や修道院組織の交流があり、各国・各地域へ伝播したものと思われております。

チョコレートは長い間、飲み物として愛されてきましたが、ココアバターが入っているため大変濃厚なものでした。
1800年代に入り、多くの技術革新が行われ、食べるチョコレートが考案されたと言われております。

日本のチョコレート

日本にチョコレートが伝わったのは、江戸時代のこと。長崎より伝来された記録がありますが、金平糖やカステラが日本に伝わった時代より比較的遅いです。
長崎の出島の遊女が阿蘭陀(オランダ)人より貰い受けた事や長崎に遊学した医術や動植物に造詣深かった人物が、長崎での見聞をまとめて刊行した事が文献に残っております。当時は”異国の珍品”として知られておりました。

明治時代になり、フランスのパリへチョコレート工場を視察したのに始まります。チョコレートが日本に持ち込まれた当時は、ヨーロッパであったように、一部の上流社会の人々によって食べられていました。お菓子としてではなく、薬として扱われていたようです。日本にはなかった色合いや味から、はじめはなかなか普及しなかったようです。

その後、1878年(明治10年)に米津風月堂が、ハイカラなお菓子としてチョコレートを「猪口令糖」を書き表して紹介。これにより、一般大衆に普及されまました。

参考:日本チョコレート・ココア協会

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昔、小豆は相場が荒れる商品で「赤いダイヤ」の異名がありました。
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